調査のツールとしてのバナナField+ 2009 07 no.2食をめぐる調査は実に楽しい。知らない人とも食を通じてすぐに仲良くなれる。美味しいもの、意外なものを食べることは抜群に面白く、ときにスリルをともなう。そしてさらに、体当たりで五感を駆使して接近する方法、つまり研究において調査者自身が実際に体験することの奥深さや難しさを、食はいつも認識させてくれる。結婚式では、マトケ(バナナを蒸した主食料理)とルウォンボ(肉や野菜をバナナの葉で包み蒸した料理)を皆で食べる。16 いかに現地の人びとと仲良くなるか。このことは、フィールドワークを始めてすぐに立ちはだかる重大な問題である。目立った特技を持つ人ならそれを披露してすぐに打ち解けられるが、そのような才能にあふれた者はそう多くはいない。しかし、「平凡」な調査者にも備わる能力がある。それは、食べることである。同じものを一緒に食べて、美味しいと共感する、またはそのふりをすることで、食べる前よりもなぜか親しくなれる。このことは、世界のどこに行っても通用する気がする。「平凡」な私は、この共食の特徴を積極的に利用しようと思い立った。共食する→仲良くなる→観察や聞き取り調査がうまくいく、という幼稚だが美しいプロセスを経るうちに、かれらの食文化についても調べてしまうという一石二鳥を狙ったのである。 食べものの中で、私は東アフリカ・ウガンダ共和国のビクトリア湖周辺に住むガンダの人びとが日々の糧にしているバナナ、つまり主食としてのバナナを研究テーマとして選ん未熟なバナナの皮をイモのようにナイフで剥き、蒸す準備をする。だ。主食について調べることには、いくつかのメリットが考えられる。一つは、実際の食べものを目の前にして頻繁に調査をすることが可能であり、モノを数える、測る、といった生態人類学が得意とする調査方法を生かしやすい点である。もう一つは、主食の味はたいていあっさりしていて、強烈な不味さと格闘しなくて済む点である。バナナなら日本で無難に頂いていることもあって、現地のバナナに苦しむことはさすがにないだろう、どうか美味くあってくれ、という願いにも似た期待を胸にウガンダへと向かった。 バナナは、私とフィールドの村人を結びつける頼もしい媒体となってくれた。かれらの主食はサツマイモやキャッサバなど、イモ類を中心に約10種類を数える。その中でもバナナの主食料理は「マトケ(matooke)」と呼ばれ、一番のご馳走とされる。マトケは、東アフリカ特有の種類のバナナを煮るか、もしくは葉で包み蒸して作られるが、とくに後者に高い価値が置かれる。マトケをぜひ勉強させてもらいたいと私が言ったとたんに、かれらの警戒心が一気に取り払われていくのが分かった。客間でマトケが振る舞われたときにも話が弾みやすく、「こんな美味しいものは日本で食べたことがない。どうやって作るの?」「台所を見に来なよ」といった具合に、かれらの日常生活に驚くほどすんなりと入り込んでいけた。人びとの間では「マトケは我々の食べもの」とする意識が強く共有されており、私はそれを学ぶ子どものように振舞うことが許されたのである。 お礼をするべきなのはこちらの方なのに、逆に「日本からやってきて我々の食べものを勉強してくれてありがとう」といった声もかけられた。もっとも後に分かったことだが、バナナの食文化の調査がしやすいのは、どうもこの地域に限ったことではないらしい。アジア、アフリカ各地でバナナに関するフィールドワークをしてきた人たちとおしゃべりしている佐藤靖明 さとう やすあき/大阪産業大学、AA研Fieldnetウェブ構築委員アフリカでバナナを使い、味わい、調べる食べる1
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