9Field+ 2009 07 no.2岷倫洛華僑天主堂の玄関の中華提灯。 フィリピンでは総人口の8割以上がカトリック教徒である。そのなかで中国系住民の多くもカトリックであると表明しているが、それが中国の民間信仰との混淆であると自認する者も少なくない。実際、街角の食堂や商店でカトリック聖像に香炉が置かれ、また道教の神像と並べ祀られているのを見かける。例えば、マニラでの調査時、筆者が昼食を摂った食堂にはサント・ニーニョ(幼きイエス)像と神像が並んでいた。中国系と思しき支配人の女性は、香港から勧請した土地公(福ふく徳とく正せい神じん)で、商売繁盛をつかさどる神と説明した。一方、マニラの世界遺産、聖アグスティン教会のように獅子がいたり、中華街のオンピン(王彬)街の起点にたつビノンド教会の前に中華提灯が吊るされたりもする。 フィリピンのカトリシズムは、16世紀後半に遡る300年を超えるスペイン支配の結果である。スペインはカトリシズムを植民地支配の正統性原理とし諸島住民の改宗に力を注いだ。中国人移民も例外ではなかった。特に18世紀中葉から19世紀前葉にかけては定住の条件としてカトリシズム受容が強制された結果、彼らの改宗が進んだ。「カパロンガのナザレのイエス」小聖堂の主祭壇(祭台にはポエと筮竹がある)。左奥に中国風の服を着た「幼きイエス」像が見える。 一方、スペイン当局は、中国人移民のカトリック信仰の「真実性」に疑念を持ち、彼らが改宗後も偶像(道教の神像や仏像)を祀って線香や紙銭を燃やし、諸島住民の信仰に悪影響を与えていると非難した。実際、当時のマニラ在住の中国人移民が残した「公正証書遺言」(「自筆遺言」に対して公証人が作成するもの)を見ると、カトリック信徒として死ぬと宣言する一方、その多くは、葬儀は中国人の伝統に則るよう指示していた。 一方、彼らの「偶像崇拝」はカトリックの聖人崇敬に貢献した。例えば、アウグスティノ会のトレンティーノの聖ニコラオは船員の守護聖人でもあり、特に中国系住民の崇敬を集めた。19世紀中葉にはマニラの中国人で、その図像と孔子像を並べ祀らない者はなかったという。その当時、9月10日の祭礼にはパシグ川に中国楽器の演奏や歌を伴った華麗な屋形船が仕立てられ、マニラ中から、その霊験に与ろうと中国人のみならず多数の信者が詰めかけ、グアダルーペ教会に安置された聖像に触れようとした。その様子は、熱心なカトリック信仰と異教の習俗の混じったものの爆発的表出と記述された。 現在、「カパロンガのナザレのイエス」を祀る小聖堂がマニラ市とケソン市の境界近くにある。カパロンガはビコール地方北カマリネス州の町である。第二次世界大戦中、ある中国人が日本兵の襲撃を受けたが、「ナザレサント・クリスト・デ・ロンゴス(中華街のオンピン街とトマス・ピンピンの角にある壁龕。中の十字架は模様替えされることがあり、写真は09年3月撮影)。のイエス」像に祈ったところ、ただ一人助かった。間もなく全国各地からの巡礼を集めるようになり、1980年に崇敬者がマニラ支部として小聖堂を設置した。 現在の小聖堂は十字架を掲げていることを除けば、外観は中国の寺廟である。2階の正面テラスには大香炉が設置され、扁へん額がく(門戸や室内に掲げる横に長い額)には「佛光普照」とある。内部は通常の聖堂と同様で、日曜日にはカトリック司祭がミサを上げる。正面に磔刑像があり、主祭壇の大小2つの厨子には「ナザレのイエス」像が安置され、祭台布は中国廟と同様の紅布で「保王善士」の4文字がある。祭台にはポエ(半月型の占具)や筮ぜい竹ちく(占いに用いる細い竹の棒)がある。脇祭壇には仏像、マリア像などがあり、中国風の服を着た「幼きイエス」像もある。管理人の若い女性は自らをカトリック教徒でフィリピン人だと言う。ただ姓が「リムソン」なので中国人の血が入っていると思うとのことであった。 ビノンド教会には耳の不自由な中国人が聴力を回復し話せるようになったという奇跡譚のある「ロサント・クリスト・デ・ロンゴスンゴスのキリスト磔刑像」がある。オンピン街に交差する路地の壁へき龕がん(神像を安置するために壁面に設けた窪み)にはレプリカ(十字架のみ)が祀られ、香炉と線香が目をひく。道すがら参拝する人びとが絶えない。 彼らは果たして「正統」なカトリック信者なのだろうか? 上述の壁龕には「蠟燭を灯す前に」と題して、主への祈祷文を示し、聖母マリアに執りなしを求め、最後に「パーテル・ノストレ」、「天使祝詞/アヴェ・マリア」、「小栄誦」を唱えるよう指示している。人びとがどのように信仰しようとも、やはり「カトリック」の礼拝所なのである。 つまり、フィリピンのカトリシズムは、中国系住民と一般の信徒が上記の「ナザレのイエス」像を含めて同一の崇敬対象を、各々に信仰実践する空間をも包摂している。聖ニコラオの祭礼のごとく、資力のある中国系住民が各地の「聖人崇敬」を盛り上げてきた歴史もある。フィリピンのカトリック信仰では「聖像」に対する思いが強い。これは、かつてスペイン当局者が非難した中国人の「偶像崇拝」にも繋がるのかもしれない。マニラフィリピン民間信仰とカトリシズムの交錯するところ中国系フィリピン人にみられる信仰実践菅谷成子すがや なりこ / 愛媛大学、元AA研共同研究員
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